開発ストーリー

企画・構想編

ユアブランド初のオリジナルカー「アナトラ」の企画は、ユアブランド代表、石田正記がずっと感じてきた違和感からスタートしました。

2000年にユアブランドを立ち上げて以降、ずっとカーインテリアを軸に、素敵な空間をつくりたい一心でやってきました。2013年頃、Facebookの知人に勧められ、FBの自動車好きコミュニティに加入。そこではとても楽しい車好きが集い、四六時中車トークをするとても楽しい場でした。

これをお読み頂いているあなたは、最近、心を奪われるほどの車に出会ったことはありますか?私はここ10年以上、新型車の中でデザインにときめいたことがありません。

このFBコミュニティでも、新型車が登場するたび、ダメ出し合戦が始まります…私も最初は参加したり意見を述べたりしていましたが、ふとあるとき、思いました。

「皆、日本に住んで日本を愛している日本人なのに、日本車にあれこれ言うのってどうだろう…それって自己否定じゃ?」

そんな、もやもやとした違和感を覚えながら過ごしていました。

あるとき、ツタヤ代官山にて、ピニンファリーナ社の(当時社長さんの)パオロ・ピニンファリーナさんをお呼びして、デザインと文化について語る講演会を、ツタヤ増田社長さんが企画されました。マスメディア向けのこのイベントに、20名ほど全国から一般人も抽選で参加させてあげます、との話でした。

熱い思いを書いて応募したところ、なんと当選し、東京まで講演を聞きに行きました。

胸に刺さる話も多かった中、最も響いたのは、「美しいものを見たなら、それはなぜ美しいかを考えよ」とのことでした。今まではただ美しいとだけ感じていた造形物、そう感じる理由を頭の中で考え、見つけるんです。

パオロ・ピニンファリーナさんと

パオロ・ピニンファリーナさんと

その後、同時期に開催されていた東京モーターショーに行き、目にしたのが発売前のハスラーでした。デザイン、色、展示方法など、「やる気にさせる」魅せ方でした。そして、これを機に、「ハスラーをベースにオリジナルのデザインを作ってみよう」と思い立ちました。

パオロさんに頂いたお言葉をずっと頭の中において、街中ですれ違う車をずっと観察します。すると、美しい、かっこいい車には共通のデザインルールが見えてきます。

 

車との出会い編

ここで私自身が車を好きになったきっかけを書いてみます。

中学生の頃、親と一緒に地元のお医者さんに行った帰り、フロントノーズがすごく長くてかっこいい、白い外車が目の前を通りすぎました。車バカの父に

私「あの外車なんていう名前なん?」 と聞くと

父「あ~あれは日本車。フェアレディZじゃ。」

と答えてくれました。今思えば、Gノーズが付いた30Zでした。あれが車に興味をもつ起点になったと思います。

その後しばらくはまた興味はありませんでしたが、大学生になってすぐの頃、近所のバイク屋さんにすごくボディラインがかっこいい、なにか独特なデザインの車が放置してありました。

初期型ダルマセリカでした。

ホワイトのボディで20年以上たってナンバーも外された車は、表面のツヤも飛んでいましたが、僕には輝いて見えました。何度もそのバイク屋さんに譲って欲しいとお願いに行きましたが、思い出の車だからと、譲ってはもらえませんでした。

その後、本屋で目にした「オールドタイマー」という雑誌の個人売買欄で、佐賀県で売りに出ていたダルマセリカの2000GTを個人売買で購入。何度かユーザー車検を受けたり、ヘッドをばらしたり、足回りやフライホイールを交換したり、ソレックスキャブをオーバーホールしたり、と車をいじる楽しさを味わいました。

この頃、CARBOYという雑誌にも出会い、20年前の、このセリカが現役だった頃のCARBOYを個人売買で手に入れては読みあさり、HKSのターボキット化したエンジンを千葉までムーブの荷台にベニヤを敷いて買いに行ったり、と、どっぷり車にはまることになりました。

このように、車には人の人生を変える力があると感じています。

 

造形編

ハスラーをベースに、なにかオリジナルのデザインを作りたい。そう思った僕の頭には色んな想いがよぎりますが、とは言っても、シートカバーや張替えのノウハウはあってもボディの造形のノウハウは全く持ち合わせていません。

そういえば、属していたFBコミュニティで、たまにオリジナルのボディを作っている方がいた・・・あの人だ。そう思って過去のログをずっと見返して、見つけました。富山のサノデザイン、佐野さんでした。すぐに電話をしました。

するとFBでは特に詳しく経歴なども書いてはおられませんでしたが、昔はヴェルサイドで修業され、光岡自動車でも造形や新型車の作成に携わっておられた経験多彩な方であるとわかりました。すぐに意気投合し、ハスラーを早速購入し、佐野さんへお任せすることにしました。

何度か富山の工場へおじゃましながら、デザイン画からの立体造形への打ち合わせを行い、無事プロトタイプが完成し、東京オートサロンに出展し、とても好評でした。

その後、3Dスキャナを使ったり、自社に3DCADを導入し、造形のノウハウを重ねながら、市販化に向けて各パーツを作っていきました。

何も知識の無かった私は、オートサロンに向けて完成させた一次プロトタイプが完成したら、半ば完成したと思っていましたが、それは大間違いでした。

アナトラはデザイン優先で、当初コストのことは全く考えていませんでした。パーツ点数が多い上に、各パーツを何の素材でつくるのかを決めるのが一苦労。使用する素材によって成型方法も変わるし、完成形で可能な形に制限があります。素材を考え、その素材で作れそうな製造メーカーに問い合わせては断られます。そもそも、3Dデータが無い状態ではどこの会社とも会話が成立しませんでした。

ですので、開発前に3DCADの勉強の必要が出てきました。CADの選定から設計、その後の製造の流れまでを失敗しながら学んでいきました。失敗も多かったですが良いビジネスパートナーとの出会いもあり、マスター(量産前の一回目の最初の形)の造形が済み、その後、量産の為のFRP型を制作するパートナーも見つかり、精度の高い生産が可能になりました。

アナトラ完成版とサノデザインSD-1

アナトラ完成版とサノデザインSD-1

※その後佐野さんはSANODESIGNの名で初めて出展されたオートサロンドレスアップカー部門にていきなりグランプリを獲得されます。

 

あとがき

思えば、構想からオートサロンでのプロトタイプデビューまで1年、その後3年、計4年もかかってしまい、初期のころアナトラを見つけてくださった方は、「一体何をしているんだ?」と思われていたかもしれませんが、4年間こういった思考錯誤をずっと続けてまいりました。

これには、私自身、ただのエアロパーツを作る所が目的なのではなく、歴史に残る名車を生みたい、自社の柱となる、人生の代表作を作りたい、自分の思う世界観を形にしたい、という強い想いがあったため、FRPのパーツ以外にもステンレスやアルミで多くのパーツが必要となり、パーツごとの製造メーカー選定から、設計、デザイン・工法打ち合わせ、試作、失敗、修正、型の見直し、再生産、といった流れを延々と繰り返していたためです。

通常の会社であれば、タイムエンドを決め、それでスタートできるのかもしれませんが、ボディ側の造形が初めてであった事、自身の管理が徹底できなかったこともあり、考えていたスケジュールよりも大幅にずれ込んでしまい、ご迷惑をおかけしてしまいましたが、パーツの造形はほぼイメージ通りに出来上がったと思います。

試作から製造に渡って、多くのご指導を頂きました、サノデザイン佐野様、Jテクノ野村様、山口県産業技術センター様、他皆さまには厚く御礼申し上げます。

現在、全国の業者さまよりお問い合わせも頂いており、順次全国各地で実車をご覧頂いている最中です。

ぜひアナトラの市販版・実車をご覧頂き、ご意見を頂けると本当に嬉しく思います。お待ちしております。